Historique
日本とフランスとの交流は、1858年(安政5年)に日仏修好通商条約の締結以降であり、神戸との関わりは、1868年(慶応4年)に兵庫(神戸)港が開港され、フランス領事館が神戸生田神社内に置かれてからである。
主な交易品は、樟脳や木蝋であったが、フランスからはマッチや石鹸の製造技術と生野鉱山の再建のためのフランス人技師たちの技術協力を得た。特に樟脳やマッチは神戸の地場産業として発展した。
1897年(明治30年)
兵庫県知事に大森鐘一が就任。大森知事はヨーロッパ留学の経験もあるフランス学者でもあり、また当時のフランス領事ド・ルシイ・フォサリュウは、20年の長期にわたってその任にあったことから、フランス文化を神戸に伝えたいとの強い意向があり、政・官・財の協力も得て「フランス文化を理解すること」を目的とした日仏交流の組織づくりを進めた。
1900年(明治33年)
「神戸日仏協会」が発足。時あたかもパリ万国博覧会の年でもあった。初代会長は記録はないが、恐らく大森鐘一で、事務所は山本通りの松方幸次郎の私邸に置かれた。
1909年(明治42年)
1928年(昭和3年)
1932年(昭和7年)
1933年(昭和8年)
1934年(昭和9年)
1945年(昭和20年)
宮島網男会長のもと、戦後復興の中、細々と活動を続けた。
1957年(昭和32年)
会長浅田長平神戸製鋼所社長のもと、協会は文化交流のみならず、工業、商業の交流を図ること、会員の職業範囲を広めて、重工業、新聞、大学関係者の入会を勧誘、会員拡張の目的のために会費を法人・個人・学生の3クラスにすること、フランス語講習会を開くことなどが、当時のベリュシュー総領事らの提案があり、古林喜楽神戸大学長が副会長に、手塚敏雄川崎重工業社長、田中寛次神戸新聞社長、小寺巌神戸国際会館常務が理事に選任された。
1965年(昭和40年)
田中寛次神戸新聞社長が会長に就任。事務所は神戸新聞社内の郷土振興調査会に設置。協会の活性化のため、毎月第一月曜日に月例会を開催(山本通りの協会図書館が会場)。マイタム副総領事夫妻をはじめ阪神間在住のフランス人も出席し、さまざまな活性化策が話し合われ、フランス語教室のほか、不定期ではあるが、映画会、講演会、シャンソンリサイタル、クリスマスパーティーなどを開催した。
1972年(昭和47年)
宮崎辰雄神戸市長が会長に就任。協会図書館の地上権を神戸市に譲渡し、神戸交通センタービルに事務所を設けて甲斐荘耀子が専任事務局員に就任。(その後津山和子)
1985年(昭和60年)
フランス領事館が大阪に移り、神戸在住のフランス人の減少に伴い、会員が減少し協会の運営を維持するために、小笠原副会長と在日フランス人協会関西(AFJ KANSAI)アラン・ベルナール会長とで提携交流の場を確立した。
1995年(平成7年)
阪神淡路大震災で交通センタービルが倒壊。協会財産も喪失。当面灘区の神戸YWCA会館会議室に事務所を移転。
1997年(平成9年)
貝原俊民兵庫県知事が会長に就任。
1999年(平成11年)
神戸国際会館に事務所移転。
2000年(平成12年)
2006年(平成18年)
2008年(平成20年)
2010年(平成22年)
2013年(平成25年)
Distinctions reçues
フランス国から日仏交流の功績に対し勲章を授与された会員
国家功労賞
海輪利光氏 1960年(昭和35年)
浅田長平氏、田中寛次氏 1968年(昭和43年)
尾崎正明氏 1976年(昭和51年)
宮崎辰雄氏 1978年(昭和53年)
Hubert Durt氏 1980年(昭和55年)
Bigot Philippe氏 1982年(昭和57年)
小笠原英次氏 1985年(昭和60年)
Bernard Alain氏 1995年(平成7年)
教育功労賞
小笠原英次氏 1971年(昭和46年)
尾崎正明氏 1974年(昭和49年)
小林利夫氏 1975年(昭和50年)
河野甲氏 1993年(平成5年)
Hubert Durt氏 1998年(平成10年)
文化芸術勲章
貝原俊民氏 1997年(平成9年)
農事功労賞
Bigot Philippe氏 1998年(平成10年)